この気持ちを何と呼べばいいんだろう。
的確な言葉を俺はまだ知らない。


「憧れ」と呼ぶには軽すぎて
「恋」と呼ぶにはあまりにも綺麗すぎる。


そう―

それは俺の好きなあの味に似てるかもしれない。


さわやかな酸味と甘さ
だけど、シュワシュワと刺激のある微炭酸。



 ―flavor of kiss




別に運命的な出会いなんかじゃない。
その人は教育実習生として俺たちの前に現れた。

竜崎先生の下で実習をやっている上に、大学でもテニスをやっているとかで
テニス部へ毎日顔を出すようになった彼女。
授業で顔を合わせてる3年の先輩とはすでに仲良くなっていたし
1.2年生にも明るく笑顔で声をかけるその先生はすぐに男子テニス部に馴染んだ。
もっとも、俺は練習中にテニス以外のことを考える余裕なんてないし、
部員たちとワイワイやってる姿を遠目に映していただけで、別に興味なんてなかったけど。

―最初は。


そんな俺がはじめて先生と話したのは、俺がコートの裏で一人で壁打ちをしてる時だった。


「さすが、うまいね!!」

タオルで汗を拭っていた俺に突然声をかけてきた。
別に彼女に興味のなかった俺は、どうもと小さくこたえて壁打ちを再開させた。
5分、10分・・・
壁打ちに集中していて、彼女の存在なんてすっかり忘れていた。

額から流れてくる汗が邪魔で、タオルを取ろうとした時
まだその場所にいる彼女が視界に入った。
黙々とボールを打つ俺を、彼女は黙って見ていた。


「やっぱスゴイなぁ、リョーマくん。ボールの跡、1箇所しか残ってないんだ。」
そう言いながら、タオルを渡してくれた。
「さすが青学のスーパールーキーだね!」
「・・・どうも。」

「あたしも大学でテニスやってるんだけど、こんなに上手い人見たことないよ。
 ・・って。遊びでやってるサークルと比べちゃリョーマくんに失礼か。」

そう言って笑った顔がやけにまぶしく見えて、心臓が「トクン」と小さく鳴ったような気がした。

「あたしね、実は都大会の決勝戦のリョーマくんの試合見てたんだよ。
 青学にスゴイ1年生がいるって噂を聞いて、青学での実習も決まってたし気になってね。」
「・・・。」

「リョーマくん、すっごいかっこよかった!
 小さい身体で相手に向かって行って、最後まで諦めないで。
 テニスの試合見てあんなに感動したの初めてだった。」
「・・・はぁ。」
「だから、リョーマくんに会ってみたかったんだ!」

そんな風に言われて悪い気はしなかったけど、
照れていることを悟られたくなくて、俺はキャップを深くかぶり直した。


せんせーっ!!』

ふと、コートの方から彼女を呼ぶ声がした。

「英ニくんかな。どうしたんだろ。」
彼女は声の方向に目をやると、
「じゃ、リョーマくんがんばって。練習の邪魔しちゃってごめんね。」
笑顔とほのかに甘い香りを残してコートに戻って行った。

同級生には感じない、オトナの女の人の香り。


心臓がドキドキと音を立てていた。
たかが壁打ちでそんなに疲れるはずなんてないのに―。




ドキドキと高鳴った心臓の理由が分からないまま、時間は過ぎ
その後、彼女と特に話すこともなく変わらない日常を送っていた。
彼女の実習も残りあと数日に迫ったある日。

放課後の練習の後、朝練に遅刻した罰でグラウンドを10周走らされていた俺は
帰り支度をしてようやく部室を出た頃には、空は暗くなりかけていた。

「・・ちぇっ。桃先輩、待っててくれなかったんだ。」

いつものように自販機でファンタを買って、飲みながら帰路に着こうとした。
その時、コートの方からボールの弾む音が聞こえた。

まだ誰か練習してんのか?
さっきのぞいた時は誰もいなかったんだけど。


少し気になって、校門へ向かおうとしていた足をテニスコートへと向かわせる。
コートへ近づくにつれ大きくなるテニスボールの音。
だけど、その音はレギュラーが打っているものにしては軽かった。

すこしづつフェンスへ近づく。
ボールを高く上げサーブを打つ影。

「・・・っ!?」


彼女だった。


暗くて顔はよく見えないけど、その姿は間違いない。
取り立てて「上手」とは言えないけど、基本に忠実なフォームで
彼女は黙々とサーブを打っていた。


ふと、ボールを打つ手が止まりコート脇のベンチへと移動する。
それを見計らい、俺もフェンスの扉を抜けてコートへと入った。
彼女は俺がいることにまだ気がついていないようだった。

一歩ずつ、彼女の元へと近づく。


先生!」

俺は初めて彼女の名前を呼んだ。
ビクっと肩を震わせ振り向く彼女。

「・・・っ!?」


彼女の瞳からは大きな涙の雫がこぼれていた。


「・・・っ、リョーマくん!」

彼女は驚いたようにつぶやき、あわてて涙を拭った。
そして、すぐにいつもの笑顔になった。

だけど、俺の目には大粒の涙を流す彼女の顔が焼きついて離れない。
俺にとってはただの実習中の明るい[先生]でしかなかったのに、
それは俺の知らない[女]の顔だった。

はじめて喋ったあの日のように、いや、それ以上の速さで
俺の心臓はドキドキと音を立てていた。


「あ・・、なんかみんなの練習見てたら久しぶりにボール打ちたくなっちゃって。
 でもみんなみたいに上手くないから、バレないようにみんな帰ったあとにコッソリって思ったのに」

「・・・。」


「よりにもよってリョーマくんに見られちゃったか。」

そう言って笑う彼女の顔が、なんだかとっても儚く見えた。


ドクン、ドクン、ドクン。
心臓の音がどんどん高鳴る。


ドクン、ドクン、ドクン。


「・・・っ!?リョーマ・・くんっ!!?」


気がつくと、俺は彼女を抱きしめていた。


あの日、鼻を掠めたほのかに甘い彼女の香り。


ドクン、ドクン、ドクン。



「・・・っ!!!?」


一瞬身体を離すと、



俺は彼女に
 ―キスをした。



ドクン、ドクン、ドクン。
心臓が大きく音を立てる。


口唇を離すと、目の前には彼女の驚いた顔。

「・・・っ・・。」
我に返った俺は、慌てて身体を離した。

ドクン、ドクン、ドクン。

何、してるんだ、俺は。

ドクン、ドクン、ドクン。

ただ、先生のあんな顔見たら止められなかった。




「・・・ファンタの味。」



「えっ・・?」


「リョーマくん・・・ファンタの味。」

彼女は、ふわりと笑った。

何事もなかったかのように。

やっぱり、彼女はオトナだ。

仕掛けた俺の方はこんなにも動揺しているのに。


「・・・余裕・・ッスね。」

やっと出てきたコトバ。
俺はこんなにもドキドキしてるのに、きっと彼女にとっては何てことないことなんだ。
自分がやけにコドモみたいで、悔しかった。



「・・・帰ろっか?もう真っ暗になっちゃったね。リョーマくん明日も朝練で早いんでしょ?
 寝坊したらまた校庭走らされちゃうよ。」

彼女はそう言うと、ラケットをバッグにしまって出口へと歩いて行った。
俺はコートに立ちすくみ、しばらくその背中を見つめていた―。






次の日も、その次の日も、彼女は何事もなかったように笑って部活へ顔を出していた。
俺はどんな顔をすればいいか分からず、なるべく顔を合わせないようにした。
そんな自分がコドモっぽくて情けなくて、少し嫌になったけど。


そして、先生の実習期間が終わった。


テニス部にもいつもの日常が戻っていた。
試合に向けての厳しい練習。

だけど、ふと思い出すことがある。


先生、元気かなー。」

「へっ?」

休憩中、突然つぶやいた桃先輩。
一瞬、俺の心の中を見透かされたのかと思った。

「やっぱ、あの人みたいに若くて綺麗な女の人がいると練習も気合入ったなぁと思ってよー。」

「・・・そッスね。」


俺はコート脇に目を移した。
思い出す彼女の涙と笑顔。

そして、彼女とのキス。

心臓が「トクン。」と鳴いた。

それをかき消すように、ファンタをクッと飲み干した。



喉に広がる爽やかな酸味と甘さ
そして、シュワシュワと刺激的な微炭酸。




この気持ちを何と呼べばいいのか、俺は知らない。



fin...





*   *   *   *   *   *   *   *   *   *   *

テーマは「リョーマの初恋」です。
リョーマにハマってから、単純なあたしはファンタをよく飲むようになったのですが、
「ファンタの味=キスの味」って素敵!と思って思いついたお話です。
それこそリョーマでしか描けない!!と。
しかもうんと年上の女性との恋。
あたしの願望です。笑
オトナの女に恋焦がれるリョーマ・・萌えるわ。

ヒロインの涙の理由、設定は決まってるんですがリョマ目線の作中では描けませんでした。
読んでくださった方にいろいろ想像してもらえるとうれしいです。
最後まで読んでいただき、ありがとうございました!

実はこのお話、続く予定です。

2007.8.23