「俺、春になったらアメリカに行く。」

全国制覇の興奮も覚めやらぬ8月。
うだるような暑さの中、リョーマは静かにそう告げた。


  ―フタシカナ、ミライ


いつかこんな日が来ることは分かってた。
君は、世界に羽ばたける人だから。

だけど。
だから。
何も言えなかった。

一緒に連れていって。とも、ずっと待ってる。とも。
何も言えなかった。

永遠を信じられるほど、無邪気なコドモでも達観したオトナでもなくて。
自分の未来さえ綺麗に描くこともできないちっぽけなこのあたしが、
新しい夢を掴むために歩き出すリョーマに何を言える?何ができる?

泣いて縋りつくことも、笑って送り出すことも、
あたしにはできそうにもなくて。

うだるような暑さの中、空を仰いで遠い世界を見据えるリョーマの後ろ姿をただただ見つめていた。


それからの日々は、なんだか気の抜けたファンタみたいで。
自分からさよならを告げる勇気も、残された日々を思いっきり楽しむ元気もなくて。
それでも以前と変わらない様子でいるリョーマの隣で、流れていく時間を過ごした。

いつもどおりのテニス部の練習。
いつもどおりのリョーマ。
いつもどおりの風景。

当たり前のような日常。
だけど春になったら、そこからリョーマはいなくなる。

あれからリョーマは一度もあたしの前で「アメリカ」という言葉を出すことはなくて。
あたしもこれから先のことなんて、怖くて触れることができなくて。
あたしたちはこの先どうなるんだろう、
リョーマがいなくなってしまった世界で、あたしはどんなふうに生きていくんだろうと。
一緒にこの時間を過ごすのはこれが最後になるのかなぁなんて、季節が移り変わっていくたびに思いながら。
放っておくと溢れそうになる涙を何度も何度もこらえた。



暑い夏が終わって、木々が赤く染まる秋が来て。
吐く息も真っ白な冬が過ぎて。

桜が咲き乱れる、春がやってきた。


自然のピンクで彩られた青学の校舎から、3年生が巣立っていく。
一緒に全国制覇を成し遂げた、先輩たち。

「青学をまかせた。」
「結局、きみとの勝負はつかないままだったね。また、やろう。」
「またあそびにくるからにゃー!!」
「身体には気をつけて、みんながんばって。」
「お前らのデータを取りに、また来る。」
「グッレート!!燃えろ、ファイヤーっっ!!」

それぞれに残される後輩たちと言葉を交わし。
神妙な面持ちで一言一言を受け止める新部長や、嗚咽を漏らしながら涙を流す新副部長、
偉大な先輩たちを超えたいと決意する部員たち。

離れ離れになってしまうのは、何もリョーマだけじゃない。
永遠に変わらないものなんてなくて、
いつまでも同じ場所になんていられなくて。
みんなそれぞれの道を進んでいくんだ。

自分の信じた道。
自分で決めた道。

ぼんやりと描いた夢を、確かな未来にするために―――。




春の風がやさしく頬をなでる。
桜の花びらが舞い落ちる。

リョーマはあの日のように、まばゆいほどの青い空を仰いでいた。
その瞳にはこれから羽ばたいていく世界がきらきらと映し出されているんだろう。
あたしにだって見える。

大きなテニス会場の、センターコートに立つリョーマの姿。


「ねぇ。」

空を仰いでいたリョーマの視線が、こちらに向けられる。
吸い込まれそうな、大きな瞳。

「何年かかるか分からないけど、待ってて。」

「えっ・・・?」

「グランドスラムとったら、迎えにくるから。」


突然告げられた、未来の約束。

予期していなかった言葉に、時が止まる。
一瞬の後、言葉の意味を理解して、自分の耳を疑った。
頭が真っ白で言葉が出てこない。


「・・・なんて顔してんの。」

「・・・。」

「俺を信じられない?」

ニヤリと上目遣いに笑うリョーマ。
返事の変わりに、あの日からずっとずっと我慢していた涙がこぼれた。

「ちょっと、なんで泣くわけ?」
「・・・だって。」

あとからあとから溢れてくる涙。
目の前にいるリョーマの姿が滲んでゆく。

まだまだだね、と、いつものように笑って
ふわり、と。リョーマの腕に抱きしめられる。
安心するぬくもりに包まれて、ずっとずっと胸の中に渦巻いていた不安や苦しさがスーッと消えていく。


「絶対獲るよ、世界。」


耳元で囁かれる、約束。
描いた未来は、君と一緒。
それが不確かなものでも、もう怖くない。


「・・・うん。待ってる。」


雪のように舞い散る桜が、二人に降り注ぐ。



不確かな、未来。
交わされた、約束。


―――君となら、永遠を信じられるかもしれない。



Fin.



2008.03.04