あの人のとなりで笑う彼女は
まるで咲き誇る桜のように凛として見えて。
泣きたくなるほどに綺麗だった。


  ―サクラ

彼女に初めて出会ったのは、ちょうど一年前。
桜が咲き乱れる頃、この場所で。

4月。
満開の時期を少し過ぎた桜は、その余韻を残すかのように地面を薄桃色に染めて。
テニスコートへと繋がる花びらの道で、彼女を見つけた。

長い髪をなびかせながらコートを見つめる凛とした横顔。
春風に揺られひらひらと舞う桜の花びらさえも、彼女のために降り注いでいるように見えて。

―――生まれて初めて女の人を綺麗だと思った。


その視線の先に何があるのかなんて、微塵も考えが及ばなくて。
ただ、吸い込まれるように彼女の姿に惹きつけられていた。

視線を感じたのか、彼女はラケットを持ったまま立ち尽くす俺に気がつくと
やさしくてやわらかい顔で微笑んだ。


たぶん、おれはその一瞬で恋に落ちたんだ。



「・・・!」

コートの方からふいに声が聞こえて我に返る。
きっと、彼女の名前なんだろう。
少し前に俺に笑いかけてくれたその人は、声のする方へと顔を戻した。
ぱぁっ、という効果音が聞こえてきそうなほどの笑顔で―――。


視線の先にいたのは、青学のレギュラージャージに身を包んで微笑む不二先輩。

・・・そういうことか。
そのやりとりで、俺はふたりの関係を悟った。
恋に落ちた次の瞬間に失恋なんて、笑い話にもなりやしない。
心の中に芽生えかけていた桜の蕾のような淡い気持ちには気づかなかったふりをして、俺は彼女の背後を足早に通り過ぎた。


最初からなかったことにしようと思った。
目に焼きついて離れないあの日の風景なんて忘れようと思った。
綺麗だと思った彼女の存在なんて知らなかったことにしようと思った。

だけど。
一度芽生えてしまった感情をキレイさっぱり失くしてしまうことなんて、できなかった。

同じコートにいる不二先輩に、彼女の面影を見出してしまう。
練習を見にきている女子生徒たちから少し離れた場所でコートを見つめる彼女を目で追ってしまう。
校舎の中で見かけることを期待してしまう。

「リョーマくん。」
不二先輩の隣で俺に話しかける透き通るような声に、心臓がぎゅっと締め付けられる。

忘れようとすればするほど、膨れ上がる想い。
どうしようもできないことは最初から分かっていたのに。
どうせ苦しむだけだって最初から分かっていたのに。

気がついたときにはもう後戻りできないほどに、俺は彼女に恋焦がれていた。




「リョーマくん!」

満開にはまだ少し早い3月。
五分咲き程度の桜が、それでも青学の校舎をうっすらとピンクに染めて。
卒業していく先輩たちの中、定位置である不二先輩の右隣に彼女は立っていた。
一年前、彼女をみつけたあの桜の木の下。
俺を見つけると、いつもの透き通るような声で俺の名前を呼んだ。


「・・・卒業、おめでとうございます。」
「ありがとう。」

あの日と同じ、やわらかい笑顔を向けられて、
ふいに一年前の姿がフラッシュバックする。
恋に落ちたあの瞬間を、今でも鮮明に覚えてる。

「リョーマくんに出会って、もう一年になるんだね。」
「・・・そっすね。」
「みんながテニスしてる姿見られなくなるの、さみしいな。」

彼女はテニスコートに視線を移した。

・・・そんなこと言って、俺のことなんかほとんど見えてなかったんでしょ?
この場所からコートを見つめていた彼女の目に映っていたのは、不二先輩で。
俺のことなんか、彼氏の後輩くらいにしか思ってなくて。

笑顔も、涙も、透き通るようなその声も、すべてが不二先輩のモノなんだ。


「不二先輩の第ニボタン、もらったんスか?」

さすが、天下の青学男子テニス部。
先輩たちの制服はすべてのボタンがもれなくなくなっていて
それはもちろん不二先輩の制服も例外ではなかった。
当然、第二ボタンは彼女の手に渡っているはずだ。

「・・・ううん。もらってないの。」

「え・・・。どうして・・・?」

予想に反する答えに、間の抜けた声を発してしまう。

「周助のファンのコに持っていかれちゃった。」
「・・・。」
「泣きながら頼まれて、断りきれなかったみたい。
 でも、別にあたしはいいんだよ?あたしはこれからも周助の隣にいられるから。」

そう言って、ふわりと笑う。
そのやわらかい笑顔に、さみしさが滲んでいるのは明らかなのに。


俺だったら、絶対にそんな顔させやしない。
俺だったら、他の女になんか優しくしない。
俺だったら・・・。

 ―――俺が・・・。


・・さ・・・」
。」

やっと捻り出した俺の声を掻き消すように、不二先輩の声が被さった。

「なに?周助・・・。」

ぱぁっという効果音が聞こえてくるような、明るい笑顔。
それは不二先輩のためだけに向けられるもの。

俺に向けられることはきっとこの先も永遠にない。


どうして。
どうして俺じゃないんだろう。
どうして不二先輩なんだろう。

不二先輩より早く出逢っていたら、何か変わっていた?
もう少し早く産まれていたら、俺のことを見てくれた?

どんなに足掻いたって
あの人より2つも年下の俺じゃ、第2ボタンをあげることすらできない―――。


ひらりと桜の花びらが舞い落ちる。
ふわりと風に乗って舞う様は、彼女のやさしい笑顔を思い出させて。
考えても仕方ないのに、たらればばかりが頭の中をぐるぐると巡る。

もし、好きだと言っていたらどうなっていたんだろう。

―――まだまだだね、俺も・・・。


伝えることすらできなかった想いを断ち切るように、空を仰いだ。


空のアオ。桜のピンク。
コントラストがやけにまぶしくて目に染みる。

涙が零れそうになったのは、きっとそのせいだ。



俺はきっとこの先も、桜の季節になるたびに思い出すんだろう。
咲くことも散ることも出来ずに心の奥に閉じ込めた、恋の蕾。

凛としてどこか儚い、桜のような彼女のことを―――。




fin...



*   *   *   *   *   *   *   *   *

桜は春の象徴で、春といえば始まりの季節ですが。
個人的には、桜には前向きなイメージよりも儚さの方がしっくりきます。
儚いが故に、美しい。
そんなイメージからできたお話です。
儚さの中にある美しさみたいなものが少しでも伝わったらいいなぁなんて思います。

読んでくださってありがとうございました。


2008.04.08